ここ数年の間に、自分が変わったなぁと思うことはありますか?
もしもあったとしたら、その前と後で、どんな違いがあるか、
ちょっとだけ振り返ってみてくださいね。
私はというとね。
5年半前とは、すごく変わったと思います。
その前って、変わることをずっと避けていたんです。
四十数年間。
むしろ、変わらないことに価値を置いていました。
なぜかというと、
(あの人はいつも変わらずあんな感じであそこにいるなぁ。)
って周りの人に思われたかったからなんです。
そう思われることって、とてつもなく尊いことだと思っていたので。
いつも同じであること。
いつも変わらずそこにあることって、なんだか太陽みたいだと思っていたんです。
そのおかげで、暖かくて、明るくて、嬉しいし、安心できる。
みんなが目印にしてくれて、居場所を見失わなくて済む。
おや?
自分を太陽のように思っていたのかな?
だとしたら、随分大きなイメージで自分を意識してる子供だったんだなぁ^^
なのに、人って、変わってしまうことが多かった。
急に引越したり、急に冷たくなったり、急に言うことが変わったり。
そういう人を目のあたりにすると、私は、ただ混乱するばかり。
悲しくなったり腹が立ったり。
ますます私は変わらない方へと価値を見出していった。
いつからか、「いつでも、どこでも、誰とでも、変わらない私であること」を大事にしてたし、
誰よりも変わらない人でありたいと願って、生きていました。
ところが、2014年になって、心の世界に入ったことをきっかけに、
それまで頑なに変わりたくないと思っていた自分が、突如、ダムが決壊したかのように
変わる方向へと舵を切ったんです。
それ以来、「いつもの自分がやらないほうをやってみる」日々が始まりました。
自分の中にある「べき」「ねば」「いけない」そんな制限をひとつずつ解除して、真逆を
やることにしたのです。
それは、その時の自分が嫌いだったから。
幸せじゃないと思ったから。
だから、自分のルールをひっくり返すことで、変わりたかったんです。
そんな思いで、日々制限を解除していったんだけど、その量たるや、今振り返ると
ものすごくたくさんありました orz
どれだけたくさん持っていたのかわからないくらい、ルール持ちだったのです。
(あんなにルール持ってたら苦しいわ。そりゃ。)って今でもよく思います(笑)
でも、その制限を山ほど解除しても、怖いこともトラブルも、何も起きなかった。
それどころか、それまで、自分に課したルールを守ることに一生懸命だった分、
守らなくて良くなったことの清々しさにびっくりしました。
(え?べきやねばがなくなっていくとこんなに楽なの?)
っていう風に。
その軽やかな感覚に衝撃を受けたのです。
ルールがある
→ ルールを守らねばとチカラが入る
→ ルールを守るために一生懸命
→ ルールを平気で破る人にむかつく
→ ルールを破る人に注意する
→ ルールを守ることに疲れる
ルールを持ってたおかげで、こんな感じのループを繰り返すことになってたみたい。
そりゃ疲れるわ(笑)
でも、そういうものをどんどん手放して、ルールを破ることにOKを出していったら、
ルールを守っていた頃の思いも、ルールを破った後の思いも、どちらも味わうことに。
そしたら、前よりも格段に人に優しくなった気がしたんです。
それは、自分に優しくできるようになったこととセットだったんです。
自分に優しくなると、人にも優しくなるんだなぁということを知りました。
昔腹を立てていた出来事を見ても、もう腹なんか立たないし、笑っちゃう自分がいました。
ものごとを「受け取る器」が、ぐっと広がっていたのです。
(あぁ。これが「器の大きな人」なんて表現されるゆとりある大人なのかも。)
そう思って、密かに喜んだものです。
昔の私は、「器の大きさ」とは、忍耐力で育つものだと勘違いしていました。
色んな苦難に耐えてこそ、ひとまわりもふたまわりも器が広がるのだという風に。
でも、今はまったく違う風に思っているんです。
「器の大きさ」は、「変化」によって広がるものだという風に。
ずっとやっていたことを辞めてみる。
ずっとやらなかったことをやってみる。
ずっと行けなかった場所に行ってみる。
ずっと食べれなかったものを食べてみる。
その体験のひとつひとつが、新しい世界の扉を開いてくれる。
その新しい扉の向こうにあるものを、五感で味わうことができた時、私たちは、これまでの
私たちとはすでに違う感覚になっているのかもしれない。
というわけで、もしも器を広げてみたいと思うなら、「変化」を大切にしてみてね。
それも、自然に変化するのを待つんじゃなくて、自ら「変化を選び取っていく」という感じで
試してみてくださいね。
ミコ