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鳥居ミコプロフィール

心理カウンセラー/弁護士/著者

鳥居ミコ

MIKO TORII

1966年11月生まれ・横浜在住
津田塾大学国際関係学科卒

経歴19年の敏腕弁護士でありSNSを中心に今人気の心理カウンセラー。

1966年東京都生まれ。津田塾大学を卒業し、大手金融会社のSEとして従事する。

結婚後、25歳で転職。様々な職場を経験するうちに「専門知識を身につけたい」と手に取った我妻栄の書籍に感銘を受け、28歳のときに法律家を志す。4回目の司法試験で合格し、32歳で弁護士に。
依頼者と全力で向き合い、日々激務に身をさらし、念願の子どもを授かるも流産を経験し、その後、離婚。

人生の絶望の中で、心屋仁之助に出会い、自分の気持ちに隠し事をしないで生きたいと願い、
本当の自分を生き直す決意をしたところ、これまでの人間関係や仕事が次々と好転。精神的にも経済的にも豊かな日々を送れるようになる。

現在は法律の専門家として培ってきた的確に情報を整理する能力と、心理カウンセラーとして得た高度な傾聴力を使う独自の手法で、クライアントの抱える悩みの本質にアプローチするカウンセリングスタイルに定評あり。

「心と法の専門家」という稀有な肩書が多くの人から支持を受けている。

近年では、講演活動やリトリートツアー、コンサルなどを通じて自分らしく生きるエッセンスを伝えている。

著書に、『いつもの自分がやらないほうをやってみる』(サンマーク出版)がある。

保有資格

弁護士/心屋リセットカウンセリングマスター/トリニティ数秘術認定講師

「なんだかうまくいかない」
そんなとき、人生を好転させるとっておきの方法があります。それは、「いつもの自分がやらないほうをやってみる」こと。まじめ一辺倒なら、ちょっとハメを外してみる。時間に厳格なら、あえてちょっとだけ遅刻してみる。いつもは自分ひとりでやってきたことを、人に頼ってみる。「反対側」を知ると、人生が音を立てて動き出します。

母の干渉に苦しんだ子供時代
~自力至上主義で生きるようになる

ヘソの緒を首に3回巻いて生まれ、怪我をよくする活発でお転婆な女の子でした。子供の頃は、とにかく両親の厳しさと母の過干渉に苦しみました。


一方で、2歳上の兄の方が母から可愛がられていると思いこみ、なんでもひとりでやるのが得意に。
親の方針で幼稚園に通わず、児童館で遊ぶこと、ピアノを弾くこと、犬と遊ぶことが安らぎでした。

 

小学校高学年頃から、家族全員の調整役をし始め、それが使命だと思い込んでいました。
やがて、母の干渉から逃れたくて、高校卒業と同時に経済的に自立する道を選ぶ。その後はひたすらアルバイトをして大学に進学し、卒業しました。


自力至上主義とも言うべき生き方が確立されたのは、その頃です。

自力と意思の力で走り続けた時代
~自己評価の低さから自由になれなかった

大学卒業直前に父が亡くなり、人生最大の絶望と後悔を味わいました。このとき味わった罪悪感は本当に大きかったです。
その後会社員になり25歳で結婚して寿退社。一度専業主婦になったものの、3ヶ月で無理だと思い派遣社員となる。そして、偶然が重なり28歳で突然司法試験を受けると決意し、4回目で合格。


経済的な自立と仕事のためなら、どんな苦労もいとわないという価値観が強かった20~30代。

一方、女性としての幸せや、家庭を育むことについて、ずっと苦手意識がつきまとっていました。恋愛・パートナーシップに向き合おうとすると、自己評価の低さがあらわに。相手も自分も信じることができない状態でした。


結局、結婚10年目にして1回目の離婚。
その時、子供を欲しくないのは母のせいではないかと悩み、母と再び向き合う努力をしましたが、数年後にわかり合えないまま母が亡くなりました。その頃から、子供が欲しいと強く思うように。

人生で一番絶望した時、
幸せに生きたいと心の底から思った

仕事に邁進しながらあっという間に40代になり、恋愛もうまくいかずに時が過ぎ、出産可能な時期が過ぎていくことに焦りを感じていました。

そんな時、子供を作ろうと言ってくれた人と二度目の結婚。ところが、結婚後間もなく授かった子供を、激務の最中に流産してしまったのです。その頃からパートナーとの不協和音が大きくなっていきました。


そんなある日、心屋仁之助さんのブログで、家族に問題がある人はその人自身の内側に問題があるという内容の文章を目にして、プロの手を借りてカウンセリングを受けると決めました。

すると、生まれて初めて、自分が母のようにだけはなるまいと必死で生きていたことや、自分のことが大嫌いだったことや、表面上「いい人」であろうとして本当の感情を押し殺していたことに気づいたのです。それをきっかけに「幸せに生きたい」と心から願うように。

 

それまでの自己評価の低さや、罪悪感の深さには、両親に対する様々な記憶、感情、思い残しが影響していたことに気づいたんです。

自分を幸せにすると決めたら、人生が大きく変わり始めた

そこで、心屋塾で心理のことを学び始め、心理学の本をたくさん読みました。
そして、幼少期の母との関係で、未消化の感情が山ほどあることを知り、何度もそれと向き合うことになりました。自力至上主義で生きてきた自分が、親さえも頼ることを拒否して、ましてやパートナーのことはもっと頼れなかったことに気づいたのです。

 

そこから、「他力に頼る」ことを意識的に訓練し始めました。やがて、自分の内側に積もっていた「我慢」の数々に気づき、「理想の家庭像」への執着を手放そうと決意し、二度目の離婚。

それをきっかけに、より一層、自分を幸せにすることに専念するようになりました。すると、子供時代からの親の教えを健気なほど一生懸命守り続けてきた自分や、それに猛烈に反発していた自分に気づいたので、それをひとつひとつ手放していったのです。そして、やりたくないことをやめて、やりたいことをひとつひとつ丁寧に選ぶようになり、徐々に本来の無邪気さや自分らしさを取り戻しました。

 

気づいた時には、穏やかな毎日と心の自由を日々感じられるようになっていたのです。

心の底から笑うことも、喜怒哀楽を臆せず表現することもできるようになっていました。

また、自分の女性らしさや華やかさを、生まれて初めて素直に受け容れることができるようになったのです。すると、仕事、人間関係、恋愛、お金などの問題が次々と好転したんです。

心の囚われを解き放ち喜びに満ちた世界を創りたい

私は、プロの手を借りて自分の心の状態を知ろうとするまで、まるで自分のことをわかっていませんでした。それに気づいた衝撃は、今も鮮明に残っています。


最初はカウンセラー。そしてセラピスト。コンサルタント。様々なプロの方に会う度に、知らなかった自分に出会ってきました。「こんな考え方をしていたんだ?」「こんな前提で自分を縛っていたんだ?」そんな驚きとともに自分を知るたびに、自分のことをどんどん好きになれたんです。

 

女性であること。年齢。職業。身長。体重。離婚歴。子供がいないことなど。人目を気にする根拠になっていた自分を構成するものを、ありのまま、愛せるようになっていったんです。

そして、過去の経験からたくさんのギフトを受け取ることができるようにもなりました。そうした自分自身の体験をベースに、様々な方にセッションをさせていただいたところ、クライアントさんの輝きがどんどん増していったのです。

 

また、弁護士として沢山の方と出会ってきて、「問題」の根底にあるものを紐解くことができれば、争いは争いではなくなっていくということも確信しました。本来、人は誰かと争いたいと願ってはいません。だから、「問題」が大きくならないうちに、自分と対話したり魂の願いに気づくことは、世界の平和に繋がる大切な鍵だと思っています。

 

そういった理由で、私は、誰もが心の囚われを解き放ち喜びに満ちた世界を創るために、自分にできるすべてのことをしていこうと決めました。

ビジョン

才能と可能性を解き放ち
常識、何かのルール、役割、人目といった様々なものに囚われることなく「自分基準」で自由に選択できるようになる。

 

すると、自分という愛の器が満たされ、幸せに生きられるようになる。

 

そんな「あり方」の人が増えて喜びのエネルギーが広がる世界を創造していきます。

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