誰かを愛そうとするとき
私たちは
育ててくれた人の愛し方を自分の愛し方の基準にしやすい。
たいがいは親の愛が基準になる。
自分に対してすごく関心を持つ親に育てられて
その愛し方を心地よく感じながら大人になったら
(愛するとは強い関心を持って向き合うことだ)
と思ったりする。
逆に
その愛し方が息苦しくて仕方なくて大人になったら
(愛するならそっと見守りながら向き合うべきだ)
と思ったりする。
いずれにしても、親の愛し方が判断基準になるので
狭い経験から愛のあり方を選ぶことになる。
もしも、愛することに疑問を持ったことがないなら、ちょっぴり立ち止まって
自分の愛し方を見つめてみること。
無意識のうちに、(これが愛だ)と思って、親の愛し方を真似ていたり、
親を反面教師とした愛し方をしていたりするのかもしれないから。
でも
そもそも愛し方には、良いも悪いもなく、正しいも間違っているもない。
普通の愛し方というものはない。
「人それぞれの愛し方」があるだけ。
幸せを感じる愛し方。
喜びを味わえる愛し方。
自分の内側から溢れる感覚とともにある愛し方。
自分が心地よい愛し方。
どれを選んでも構わない。
自分がいいと思う愛し方をすればいいのです。
そんなことに気づいたら
「愛の自立」の時を迎えると思うのです。
ミコ